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報道の『山崎の合戦に遅参した羽柴秀吉』馬部隆弘先生についての論考
秀吉が山崎の合戦に遅参したという馬部隆弘先生の論文が出ました。それについての批評です。
4月21日読了時間: 12分


アテルイの首塚の馬部隆弘先生説
大阪府枚方市のアテルイについての馬部隆弘先生の考察についての覚書き。
2月18日読了時間: 4分


徳川家と椿井氏-紀伊藩と津田城
徳川秀忠と崇源院につかえた椿井紀伊は山城国の椿井氏の一族。改易となった小堀政方の妻は秀忠と崇源院の息子である徳川家光の側室・桂昌院の姪孫、椿井政堯の祖母は徳川家光と桂昌院の息子の徳川綱吉の側室である瑞春院という徳川家と椿井家の縁と椿井文書
2024年9月16日読了時間: 15分


司法と学術論争についての短考-椿井文書裁判を終えて
椿井文書裁判(大阪地裁令和5年(ワ)第2033号)は良好な結果で終わりました。どのような争いがあったのかについては大阪地方裁判所で資料を閲覧可能なので興味がある方は閲覧ください。
2024年3月6日読了時間: 6分


義民物語と椿井文書
椿井家の系図は義民伝承とつながっていますが、尾張椿井家文書と政秀寺文書並びに『平天後ニ改平手家譜謀』とは椿井政里女の生年と法名の整合性がとれません。
お上に直訴する義民物語はその多くが後世顕彰されたものでほとんどは史実ではないそうです。
2023年5月7日読了時間: 12分


アテルイの首塚は胴塚より先?
いわゆるアテルイの首塚がある枚方市牧野公園とその周辺は京都・西寺廃寺同笵瓦が出土した瓦窯跡ですが、日本後紀によるとアテルイが亡くなった頃の西寺の造西寺長官は 坂上田村麻呂です。2007年「伝阿弖流為母禮之塚」が建立されましたが、頭の「伝」は伝承の伝で、史実というわけではありません。 枚方市議会議事録 で1973年頃からアテルイの首塚・胴塚と言われ始めたとわかる旧坂村の首塚と旧宇山村の古塚または胴塚の元々の伝承は、 河北新報1979年3月25日報道 によると 胴塚;蝦夷の統領が処刑された場所 首塚;”戦いに負けた大物武将の首塚がある” でした。1972年『枚方市史』第2巻にて歴史学者達によるアテルイが宇山で斬られたという記載へ「要検証」と反論した事をきっかけに新興住宅地の市民にも歴史学者達がそのように言っていると知られたからか、アテルイの墓を探しに枚方市へ来阪していた東北地方・河北新報と地元住民の出会いからか、敗戦武将の首塚の「武将」がアテルイへと認識が変容したのではないか?と述べた 記事 の続きです。 造西寺長官 坂上田村麻呂...
2023年2月6日読了時間: 18分


牽牛石と枚方市・交野市の七夕伝承
牽牛石 (追記:大阪府枚方市・交野市の七夕伝承について考察した『 七夕伝承と天野川-和歌・物語世界の心性史 』をアップロードしました。(まだ書きかけの考察です)) 大阪府枚方市の中山観音寺跡(観音山公園)には、牽牛星が「星下り」で有名な 中山寺 へ沈む夜空が望める 牽牛石...
2022年8月5日読了時間: 34分


伊勢物語「渚の院」と七夕
『伊勢物語』"渚の院"の情景は 曽我物語冒頭 でも意味付けをされる、文学的世界の重要なシーンです (吉田究 . “歌枕・交野 - 詩的個性の展開する場.” 大手前女子大学論集 12 (1978): 129 – 143. ...
2022年7月27日読了時間: 5分


逢合橋と七夕と本尊掛松
天野川(あまのがわ)に架かる大阪府交野市旧私部村 逢合橋 は七夕伝承ゆかりの橋ではなく、1321年融通念仏宗第七代・法明上人(1279~1349年)と石清水八幡宮神人が出会った縁起の場所「合逢之茶屋」由来と云う最近の説ですが、史実はどうだったか橋の記録が無いのでわかりません...
2022年6月20日読了時間: 13分


幡(はたほこ)と七夕と機物神社=はたほこ神社
毎年七夕祭りでにぎわう天野川(あまのがわ)沿岸の大阪府交野市 機物神社 がもし古記録の「はたほこ大明神」であれば、機織りと関係する神社だと思われます。 機物神社の御祭神・栲機千々比売命大神(たくはたちちひめおおかみ)の別名は 天萬栲幡千幡姫 (日本書紀)=...
2022年6月15日読了時間: 12分


椿井文書が明治時代に創られた記録
明治時代に椿井文書が作られた記録があります。
2022年6月11日読了時間: 7分


アテルイの首塚・胴塚伝承は江戸時代からあった?
枚方市牧野公園の伝阿弖流為母礼之碑は史蹟の捏造という歴史学者の批判があります。 (この記事には続きがあります→ アテルイの首塚は胴塚より先? ) 地元の伝承問題 1993年枚方市教育委員会社会教育部長田宮久史氏の枚方市議会での発言から、 1973年頃以前から首塚や胴塚の伝承が存在し、 1973年頃からはそれらがアテルイ関連の伝承と認識されていったとわかります。 「……まだ、ほんの20年ほど前から一部の方が胴塚とか、首塚とか、宇山地区にはそういう多分古墳だろうと思うんですが。実際胴塚と呼ばれていますところは発掘調査の結果、古墳だったということがわかりましたが、首塚、胴塚というようなことで伝わってきておりました。しかし阿弖流為のと言い出したのは、ほんの20年ほどのことです…… (※枚方市教育委員会社会教育部長田宮久史氏) 」 『平成五年第三回定例会 枚方市議会会議録』P436-456. (馬部隆弘. 由緒・偽文書と地域社会. 東京: 勉誠出版, 2019;294.) 歴史学者達は少なくとも1900年からアテルイ処刑地は枚方市旧宇山村説をたびたび流布
2022年5月26日読了時間: 23分


椿井文書は全て椿井政隆作??
椿井政隆が椿井文書を作った説は『郷社三之宮神社古文書伝来之記』三宅,1911年 (枚方市立中央図書館市史編纂室複写所蔵) にて記録された伝聞を元にとなえられましたが (馬部隆弘. “大阪府枚方市所在三之宮神社文書の分析―由緒と山論の関係から―.” ヒストリア, no....
2022年4月30日読了時間: 7分


穂谷三之宮大明神年表録は椿井文書??
椿井政隆作椿井文書と云われている『穂谷三之宮大明神年表録』は津田村側穂谷村側両方の史料の特徴を持つ事から考えてそれらを合わせて作成されたものと思われ、その時期はおそらく1878年(明治11年)裁判和解後だと思われます。 椿井政隆(1770-1837)が穂谷村を山論で有利にす...
2022年4月20日読了時間: 10分


『世継神社縁起之事』の年代表記
( 前回の記事 ) 『世継神社縁起之事』の年代表記は椿井政隆(1770-1837年)が生きていた江戸末期の形式より古く、 中世書かれたはずが近世の特徴を持つ年代表記から椿井文書と推定された文書類とは違っています。 近世とそれ以前の年代表記...
2022年4月13日読了時間: 3分


伝王仁墓と椿井文書
伝承の碑「伝王仁墓」。王仁(和邇吉師)の伝承の存在・非存在の史実について。 (A) 1682年尊光寺所蔵『 当郷旧跡名所誌 』や1689年貝原好古『 八幡宮本紀 』にて既に 王仁の「塔石」や「王仁墓」が記録されていることから、 五畿内志...
2022年4月7日読了時間: 10分


『世継神社縁起之事』は椿井文書?
近江国坂田郡の息長川は1770年椿井政隆が誕生する以前に書籍や郷土史にて書かれていました。また、椿井文書と鑑定された明朝体以外の書体で書かれている古文書は多数あります https://fujinkoron.jp/articles/-/2218?page=3 。...
2022年4月6日読了時間: 6分
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