毎年七夕祭りでにぎわう天野川(あまのがわ)沿岸の大阪府交野市機物神社がもし古記録の「はたほこ大明神」であれば、機織りと関係する神社だと思われます。
機物神社の御祭神・栲機千々比売命大神(たくはたちちひめおおかみ)の別名は 天萬栲幡千幡姫(日本書紀)=萬幡豐秋津師比賣命(古事記)、高皇産霊尊の娘で天照大神の子・天忍穗耳尊の配偶者であり、天火明命・饒速日尊・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の母です。幡=はたほこ=幡鉾(幡桙)なので千万の栲(たえ)の幡(はたほこ)の神ともいえます。栲(たえ)は梶の木やコウゾ等の木の皮の繊維で織った布(白たえ)であり、栲(たく)は梶の木です。(七夕には梶の葉を飾ります)。万葉集の
〽天漢 梶音聞 孫星 与織女 今夕相霜
(天の川楫の音聞こゆ彦星と織女と今夜逢ふらしも 柿本朝臣人麻呂・巻10/2029番)
(追記1)天棚機姫が神衣を織ったのは、天照大神が石窟へひきこもったのを引き出すためです。その際に石の扉を開いた天手力男は、萬幡豐秋津姫命と共に
天照大神と同殿で祀られています。萬幡豐秋津姫命の霊の御形は「劔」です。
“天照坐皇太神宮儀式大神并神宮院行事。 合壹拾玖院。 天照坐皇太神。所稱天照意保比流賣命。 同殿坐神。二柱。左方坐。天手力男神稱。靈御形弓坐。右方坐。萬幡豐秋津姫命稱也。此皇孫之母。靈御形劔坐。 御坐地。度會郡宇治里。伊鈴河上之大山中。” 塙保己一, ed. "皇太神宮儀式帳(延暦二三年(804))". 伊勢大神宮纂記: 正続群書類従. Vol. 1. 続群書類従完成会, 1929. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186766/6 .
神服織機殿神社の天御桙命と天八千々姫
伊勢神宮神御衣祭へ絹の和妙(にぎたえ)を供える神服織機殿神社の御祭神は
天御桙命と天八千々姫です。天八千々姫(八千々姫命)は天棚機姫神の孫です。
(追記2)「機」と「桙」の神、まさに「はたほこ」ですから、はたほこ神社の御祭神が天棚機姫神(あめのたなばたひめ)で、同時に機物の神社であるのは利にかなっています。
天照大神の天岩戸のシーンで出てくる天棚機姫神と天手力男。その天手力男と共に萬幡豐秋津姫命は天照大神と同殿に祀られているので、両女神は同一視されているのだと思います。(追記2,2022-10-07)
“令倭姫命居焉。卽建八尋機屋。令天棚機姫神孫八千々姫命。織大神神衣。譬猶在天上儀焉。謂號宇治機殿是也。” 塙保己一, ed. "倭姫命世記 ". 伊勢大神宮纂記: 正続群書類従. Vol. 2. 続群書類従完成会, 1929. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186778/34 ,56.
“179 御衣奉織行事 写176 177 松阪市大垣内町 神服織機殿神社 松阪市井口中町 神麻続機殿神社 市指定 御衣(おんぞ)というのは、衣服の尊敬語で、おめしものゝ意である。御衣奉織行事というのは、このおめしものゝ織り立て行事のことである。たゞしこの場合は、神宮の神御衣(かんみそ)祭で皇大神宮と同荒祭宮の御前に献進される神御衣の奉織の義である。一般にいう御衣(おんぞ)を、神宮では神御衣(かんみそ)と称している。この織り立てられたお召しものは、もと四月と九月の十四日、現在では五月と十月の十四日と、年に二回神御衣祭で奉献される。 この御衣は和妙(にぎたえ)(絹)と荒妙(あらたえ)(麻)の二種がある。和妙は下館(しもだち)とも下機殿(しもはたでん)とも呼ばれる、皇大神宮所管社神服織(かむはとり)機殿(はたどの)神社の境内の八尋殿(やひろでん)と称する御機(はた)殿で奉織される。もと多気郡東黒部村大字大垣内、現松坂市大垣内町にある。荒妙は<麻続(おみ)さん>とか上館(かみたち)と通称される、皇大神宮所管神麻続(かんおみ)機殿(はたどの)神社の境内の八尋殿と称する御機殿で奉織される。もと飯南郡機殿村大字井口中、現松阪市井口中町にある。この両神社は、ともにこの御衣を奉織する御機殿の守護神を奉斎している。 古く和妙を調進するのは服部一族で、荒妙の方は麻続部であった。大神宮の御用ゆえに神服部(かんはとりべ)、神麻続部(かんおみべ)といゝ、それぞれ封戸二十二烟をあてられていた。神服織機殿神社は、天御桙命と人面(にんめん)(奉織する人)の祖天(あめの)八千々姫(やちゞひめ)を祀るとし、神麻続機殿神社は天(あめの)八坂彦(やさかひこ)命を祀ると伝えている。いずれも氏族の祖先神とされている。この機殿(はたどの)の場所も変遷があったようであり、祖神の名も諸説あって一定し難い。 両機殿ともに中世荒廃して、小祠を遺していた程度であった。元禄十二年(一六九九)の神御衣祭復旧の当時も八尋殿の再興はならず、享保十二年(一七二七)にいたって八尋殿以下の再興をみた。” 松阪市史編さん委員会, ed. 松阪市史. Vol. 6. 蒼人社, 1979. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9570176/229 ,273-274.
(追記1,2022-10-04)
大阪府交野市の機物神社は江戸時代「はたほこ大明神」と呼ばれ、七夕の織女とは無関係という指摘があります。(馬部隆弘. 由緒・偽文書と地域社会. 勉誠出版, 2019:253. , 馬部隆弘. 椿井文書. 中公新書, 2020:220.)
「『日本国語大辞典』(小学館)によると、はたほこ(幢)とは、「小旗を上部につけたほこ。または、ほこを上部につけた旗竿」で「朝儀や法会の儀仗として用いる」ものである。このように、本来は織女との関係性を窺わせる神社ではなかった。」馬部隆弘. “茄子作の村落秩序と偽文書(下) -近現代の修史事業と伝承-.” 枚方市史年報, no. 15 (2013): 1–30.
「はたほこ」とは?
「はたほこ(幡桙)」は和名類聚抄(平安時代)では仏教の伽藍具「宝幡」と書かれています。明治維新以前は神仏合習だったので、はたほこ(幢・橦・幡・幡桙・幢幡)もどうばん(幢幡)も元は同じものだと思われます。
はた(織物)は「はたほこ」を構成する部分で、はた+「ほこ」+竿だけでなく「はた」+竿や、「ほこ」や「牛尾」や「雉羽」を上部につけた竿も「はたほこ」と呼ぶので、織女が織る機物=旗と関係しているといえるのではないでしょうか。
仏と神の「はたほこ」
「はたほこ」は「はた」という織物というだけでなく仏教とも関係しています。古記録の「はたほこ大明神」の可能性がある機物神社は仏画『十六善神曼荼羅』を所蔵しています。十六善神曼荼羅をかけてその前で般若心経を読誦したそうです。 (交野市史. 交野町略史編. 交野市, 1981. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9574927/13 .)
辞書の「はたほこ」
旧河内国交野郡は漢系渡来人「交野忌寸」の本貫地といわれています。
播磨国風土記(奈良時代)では神尾山の出雲の大神を鎮める為に枚方里(兵庫県揖保郡太子町佐用岡平方)へ赴く河内国茨田郡枚方里の漢人のお話が出てくるように漢系渡来人が住んでいた地域です(河内国茨田郡と交野郡が分離したのは西暦702年、風土記編纂の為の採話が命じられたのは西暦713年頃)。(“播磨国風土記”石川淳, 倉野憲司, and 福永武彦, trans. 古典日本文学全集. Vol. 1. 筑摩書房, 1966. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1661177/64. )
交野市の交野山は昔の地図では神尾山と書かれているものもあるので、何か関係があるのかもしれません。
「はたほこ」について辞書にどう掲載されているのか、その「漢字」も含めて引用してみました。
“寳幡 華厳経偈之寳幢諸幡盖 訓波多保古” 源順. 和名類聚抄. Vol. 5. 狩谷望之写, 1821. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2545187/31 .
“はた(旗/幢/幡/旌)【はた】 はたは儀式や軍陣などに標識あるいは飾りとして立てたが,上古朝廷における即位式に用いた烏像幢(うぞうどう),日像幢(にちぞうどう),月像幢(がつぞうどう),朱雀(すざく)・青竜・白虎・玄武旗(続紀文武天皇大宝元年)などの仗旗(じょうき)は現在の旗とは異なった〈はたほこ〉であった。” 百科事典マイペディア. 平凡社, n.d.
(山本崇. “平安時代の即位儀とその儀仗 ―文安御即位調度図考―.” 立命館文學, no. 624 (2012): 391–406. http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/624.htm .)
“はたほこ(名)幢 | 橦 | 幡 〔幡桙の義〕鉾の上部に、小旗を着けたるもの。又、寺院にて、竿の先に旗を建てたるもの。倭名抄、十三伽藍具「寳幡、一本、波多保古」 大舎人寮式「幡桙四枚」萬葉集、十六「婆羅門の、作れる小田を、はむ鳥、瞼腫れて、幡幢(はたぼこ)にをり」曾我物語、五、呉越戦事「呉王の忠臣伍子胥が、諫め協はずして、首を刎ねられし時の両眼、幢(はたぼこ)に懸けたりしが」……” 大槻文彦. 大言海. Vol. 3. 富山房, 1937;856. (※カナをひらがなへ変換) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1902792/433 .
“はた‐ほこ【幢・橦】〘名〙 (「幡鉾」の義。「はたぼこ」とも) 小旗を上部につけたほこ。または、ほこを上部につけた旗竿。……” 日本大辞典刊行会, ed. 日本国語大辞典. 縮小. Vol. 8. 小学館, 1981;987.(コトバンク版)
“どう‐ばん【幢幡・幢旛】1.はた。後漢書礼儀志下「校尉三人、皆赤幘不(レ)冠、経科単衣持(㆓)幢幡(㆒)」2.仏具。本来は幢と幡のこと。ともに荘厳具として用いるが、現今はこれを一つにして、六角または八角の幢形にし、幢竿から幡を吊るす。……” 日本大辞典刊行会, ed. 日本国語大辞典. 縮小. Vol. 7. 小学館, 1981;1226.(コトバンク版)
“どう ダウ【幢】〘名〙① 竿の先端に、種々に彩色した布でつくった旗をつけたもの。軍陣などの指揮や、儀式に用いた。はたほこ。幢の旗。※続日本紀‐文武五年正月乙亥朔「天皇御(㆓)大極殿(㆒)受(レ)朝、其儀於(㆓)正門(㆒)樹(㆓)烏形幢(㆒)」 ……② ①より、魔軍を破摧する法(のり)の王である仏を象徴して仏・菩薩の荘厳具としたもの。龍や宝珠を上端につけて竿につるし、堂内の柱にかける。→法幢。※貞信公記‐抄・延長四年四月一五日「参法性寺、令立幢修諷誦」……” 日本大辞典刊行会, ed. 日本国語大辞典. 縮小. Vol. 7. 小学館, 1981;1128.(コトバンク版)
“ほう‐どう ホフダウ【法幢】〘名〙 (「幢」は儀式・指図に用いる旗ぼこの意) 仏語。① 仏法のこと。説法の標幟とした旗じるし。また、仏法を、高くそびえる幢(はた)、あるいは魔軍を調伏する猛将の幢にたとえていう語。●霊異記-中-序「法幢高く竪ちて幡足は八方に飄り」……” 日本大辞典刊行会, ed. 日本国語大辞典. 縮小. Vol. 9. 小学館, 1981;786.(コトバンク版)
“う‐ぼう【羽旄】〘名〙 雉(きじ)の羽と旄牛(ぼうぎゅう)の尾とを、さおの先に飾りつけた幢(はたぼこ)。※浄瑠璃・唐船噺今国性爺-上「清道(せいだう)の大旗羽旄(ウバウ)風に吹なびかせ」 ※孟子‐梁恵王・下「百姓聞王車馬之音見羽旄之美」” 日本大辞典刊行会, ed. 日本国語大辞典. 縮小. Vol. 2. 小学館, 1981;9.(コトバンク版)
“ばん【幡・旛】〘名〙「はた(旗)」に同じ※色葉字類抄「幡 仏具也」…… ” 日本大辞典刊行会, ed. 日本国語大辞典. 縮小. Vol. 8. 小学館, 1981;1213.(コトバンク版)
“はた【旗・幡・旌】〘名〙……②(幡)仏語。仏菩薩などを供養する荘厳具。その材料などによって平幡(ひらはた)、糸幡、玉幡など種々のものがあり、板でつくられることもあった……十巻本和名抄-五「幡 涅槃経云諸香木上懸五色幡<波多 又見征戦具>」 ” 日本大辞典刊行会, ed. 日本国語大辞典. 縮小. Vol. 8. 小学館, 1981;1213.(コトバンク版)
“【旄】バウ……一 はたかざり。旗竿のさきに牛尾、又は鳥羽を垂らして飾としたもの。旄ある旗を旌□といふ。…… ニ さしばた。はたほこ。もと竿首の飾であった牛尾羽毛を、指揮棒のさきに垂らして行兵の具とし、更に舞者が執持する具とする……三 かざし。牛尾を器具の飾としたもの……四 からうしの尾毛。氂に通ず……五 からうし。やく……(※旄頭は昴星)” 諸橋轍次. 大漢和辞典. 縮寫. Vol. 5. 大修館書店, 1967:5328. 王圻纂集, and 王思義續集, eds. 三才圖會. Vol. 106, 1609. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2574379/6.
“【翿】トウ……一 はたぼこ。鬼がしら。かざし。𦒇に同じ。〔正字通〕翿、與(レ)𦒇同。〔説文〕翳、翳也、所(㆓)以舞(㆒)也、从(レ)羽葆聲。〔爾雅、釈言〕翿、纛也〔注〕今之。羽葆幢……” 諸橋轍次. 大漢和辞典. 縮寫. Vol. 9. 大修館書店, 1967:141. “【翿旌】トウセイ はたぼこ。おにがしら。白羽と朱色羽とを雜へて作る。𦒇に同じ。〔正字通〕翿、與(レ)𦒇同。〔説文〕翳、翳也、所(㆓)以舞(㆒)也、从(レ)羽葆聲。〔爾雅、釋言〕翿、纛也〔注〕今之羽葆幢……” 諸橋轍次. 大漢和辞典. 縮寫. Vol. 9. 大修館書店, 1967:141.
“【纛】トウ 一 はたぼこ。旄牛の尾或は雉尾で飾った大旗。古、葬儀に柩を指揮するに用ひ、又は羽舞に舞者が用ひたもの。後、軍中に用ひ、秦漢以後は天子の車馬の飾に用ひた。〔爾雅、釋言〕翢、纛也、纛、翳也。〔注〕今之羽葆幢、舞者所持以自隱翳……” 諸橋轍次. 大漢和辞典. 縮寫. Vol. 8. 大修館書店, 1967: 1217. 《京都》御所と離宮の栞,宮内庁 平城宮朝集殿院の調査,2004年6月5日,独立行政法人文化財研究所平城宮跡発掘調査部
“【翳】エイ……五 かざしの羽。はたぼこ……” 諸橋轍次. 大漢和辞典. 縮寫. Vol. 9. 大修館書店, 1967:9486.
“【翢】トウ……一 はたぼこ。纛に同じ……” 諸橋轍次. 大漢和辞典. 縮寫. Vol. 9. 大修館書店, 1967:9477.
“【棨】ケイ……一 わりふ。てがた…… 二 はたぼこ……三 たてやり。けやり。儀衞に用ひるかざりぼこ。” 諸橋轍次. 大漢和辞典. 縮寫. Vol. 6. 大修館書店, 1967:403. “【棨戟】ケイゲキ……一 繒で包んだ戟。儀衞に用ひるかざりぼこ。一名、油戟” 諸橋轍次. 大漢和辞典. 縮寫. Vol. 6. 大修館書店, 1967:404.
“【棷】ソウ……一 たきぎ…… 二 たて〔廣韻〕棷、瞂謂(㆓)之棷(㆒)。 三 はたぼこ。けやり〔廣韻〕棷、棨也。” 諸橋轍次. 大漢和辞典. 縮寫. Vol. 6. 大修館書店, 1967:409.
幡の例
江戸時代の倉治村はたほこ大明神
江戸時代の観光案内書『河内鑑名所記』にて大阪府交野市旧倉治村の「源氏の滝」や「はたほこ大明神」が掲載されています。
(三田浄久. 河内鑑名所記. 上方芸文叢刊. Vol. 3. 上方芸文叢刊刊行会, 1980;302-304. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9574700/157 .)
三田浄久. 河内鑑名所記. 上方芸文叢刊. Vol. 3. 上方芸文叢刊刊行会, 1980;489. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9574700/250 .) (三田浄久. 河内鑑名所記. 洛陽(京都): 西村七郎兵衛正光, 1679. https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru04/ru04_01837/ru04_01837_0006/ru04_01837_0006_p0034.jpg .)
(菊本賀保. 日本國花萬葉記. Vol. 4. 高麗橋西(難波): 油屋与兵衛, 1697;26コマ. https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ru03/ru03_01351/ru03_01351_0004/ru03_01351_0004.pdf )
はたほこ大明神
古記録のはたほこ大明神が現在の機物神社を指すのか糸吉神社を指すのか不明ですが、「はたほこ」と機物神社ご祭神は上記で引用した様に関係しているので、古記録の神名を理由に七夕伝承との関係を否定することはできません。
神名・神社名とご祭神
そもそも神社の名前とご祭神名は常に関係しているのかといえば、必ずしもそうではありません。例:神田明神(大己貴命),小倉神社(武甕槌神),八大神社(牛頭天王),大田神社(天鈿女命),御机神社(牛頭天王)
神社の名前が変わるのはそう珍しい事でもありません。
ご祭神と神社の名前に直接的な関連性が無いという理由だけでご祭神を否定するのは難しいと思われます。
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