9月16日読了時間: 15分徳川家と椿井氏-紀伊藩と津田城徳川秀忠と崇源院につかえた椿井紀伊は山城国の椿井氏の一族。改易となった小堀政方の妻は秀忠と崇源院の息子である徳川家光の側室・桂昌院の姪孫、椿井政堯の祖母は徳川家光と桂昌院の息子の徳川綱吉の側室である瑞春院という徳川家と椿井家の縁と椿井文書
3月6日読了時間: 6分司法と学術論争についての短考-椿井文書裁判を終えて椿井文書裁判(大阪地裁令和5年(ワ)第2033号)は良好な結果で終わりました。どのような争いがあったのかについては大阪地方裁判所で資料を閲覧可能なので興味がある方は閲覧ください。
2023年5月7日読了時間: 12分義民物語と椿井文書椿井家の系図は義民伝承とつながっていますが、尾張椿井家文書と政秀寺文書並びに『平天後ニ改平手家譜謀』とは椿井政里女の生年と法名の整合性がとれません。 お上に直訴する義民物語はその多くが後世顕彰されたものでほとんどは史実ではないそうです。
2022年4月30日読了時間: 7分椿井文書は全て椿井政隆作??椿井政隆が椿井文書を作った説は『郷社三之宮神社古文書伝来之記』三宅,1911年(枚方市立中央図書館市史編纂室複写所蔵)にて記録された伝聞を元にとなえられましたが(馬部隆弘. “大阪府枚方市所在三之宮神社文書の分析―由緒と山論の関係から―.” ヒストリア, no. 194...
2022年4月20日読了時間: 10分穂谷三之宮大明神年表録は椿井文書??椿井政隆作椿井文書と云われている『穂谷三之宮大明神年表録』は津田村側穂谷村側両方の史料の特徴を持つ事から考えてそれらを合わせて作成されたものと思われ、その時期はおそらく1878年(明治11年)裁判和解後だと思われます。 椿井政隆(1770-1837)が穂谷村を山論で有利にす...
2022年4月13日読了時間: 3分『世継神社縁起之事』の年代表記(前回の記事)『世継神社縁起之事』の年代表記は椿井政隆(1770-1837年)が生きていた江戸末期の形式より古く、 中世書かれたはずが近世の特徴を持つ年代表記から椿井文書と推定された文書類とは違っています。 近世とそれ以前の年代表記...
2022年4月7日読了時間: 10分伝王仁墓と椿井文書伝承の碑「伝王仁墓」。王仁(和邇吉師)の伝承の存在・非存在の史実について。 (A) 1682年尊光寺所蔵『当郷旧跡名所誌』や1689年貝原好古『八幡宮本紀』にて既に 王仁の「塔石」や「王仁墓」が記録されていることから、 五畿内志の並河誠所(1668-1738)が1731年頃...
2022年4月6日読了時間: 6分『世継神社縁起之事』は椿井文書?近江国坂田郡の息長川は1770年椿井政隆が誕生する以前に書籍や郷土史にて書かれていました。また、椿井文書と鑑定された明朝体以外の書体で書かれている古文書は多数あります https://fujinkoron.jp/articles/-/2218?page=3 。...