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椿井文書が明治時代に創られた記録
明治時代に椿井文書が作られた記録があります。
2022年6月11日読了時間: 7分


アテルイの首塚・胴塚伝承は江戸時代からあった?
枚方市牧野公園の伝阿弖流為母礼之碑は史蹟の捏造という歴史学者の批判があります。 (この記事には続きがあります→ アテルイの首塚は胴塚より先? ) 地元の伝承問題 1993年枚方市教育委員会社会教育部長田宮久史氏の枚方市議会での発言から、 1973年頃以前から首塚や胴塚の伝承が存在し、 1973年頃からはそれらがアテルイ関連の伝承と認識されていったとわかります。 「……まだ、ほんの20年ほど前から一部の方が胴塚とか、首塚とか、宇山地区にはそういう多分古墳だろうと思うんですが。実際胴塚と呼ばれていますところは発掘調査の結果、古墳だったということがわかりましたが、首塚、胴塚というようなことで伝わってきておりました。しかし阿弖流為のと言い出したのは、ほんの20年ほどのことです…… (※枚方市教育委員会社会教育部長田宮久史氏) 」 『平成五年第三回定例会 枚方市議会会議録』P436-456. (馬部隆弘. 由緒・偽文書と地域社会. 東京: 勉誠出版, 2019;294.) 歴史学者達は少なくとも1900年からアテルイ処刑地は枚方市旧宇山村説をたびたび流布
2022年5月26日読了時間: 23分


椿井文書は全て椿井政隆作??
椿井政隆が椿井文書を作った説は『郷社三之宮神社古文書伝来之記』三宅,1911年 (枚方市立中央図書館市史編纂室複写所蔵) にて記録された伝聞を元にとなえられましたが (馬部隆弘. “大阪府枚方市所在三之宮神社文書の分析―由緒と山論の関係から―.” ヒストリア, no....
2022年4月30日読了時間: 7分
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